5 第二次世界大戦による西来寺焼失と平成の復興


航空写真(圧縮版)昭和20年(1945)7月28日夜半からの焼夷弾空襲で津市街の8割は全焼し西来寺も灰燼に帰しました。ところが宝蔵の周囲だけは不思議にも焼夷弾が落ちず、宝蔵二庫と隠居所だけが焼失をまぬかれました。誠に不思議、宝蔵に収めた佛様の御加護であります。

昭和22年(1947)、総本山西教寺の旧学寮の講堂を下付していただき、23年本堂として移築しました。この間に津市の復興都市計画が決まり、境内地を四割供出する復興計画に基づいて境内の区画を定め塔頭寺院も再建しました。

しかしながら、昭和23年戦後の物資不足のときに再建した本堂・本坊は建築後40数年経過し老朽化が甚しくなったので、平成3年(1991)3月から本堂・本坊の再建工事に着手し、平成5年(1993)6月竣工、10月23日落慶大法要を修行し、同月24日には宗祖開山真盛上人五百回忌御遠忌大法要を厳修しました。

 

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