2 最初の移転


盛品塚

盛品塚

明応7年(1498)に大地震がありました。この地震で安濃の松原(安濃津と海の間の松原をこういっていたそうです)が陥没し、津の町は壊滅的な被害を受けましたので、町を西の方に移して再興することになりました。西来寺もそれに従って現在盛品塚(津市柳山津興)のある一帯に移転しました。

この地震と津波で破壊された西来寺の移転再建は、西来寺第三祖盛品上人が手がけられ、上人の在住中に本堂庫裡を始め衆憎が住むための塔頭寺院が二十ヶ院ちかく建てられました。

盛品上人は西来寺の復興とともに念仏興隆に努められ、真盛上人の勧化で各地に念仏を喜ぶ集りが出来ていましたが、盛品上人はそれらの人々を勧めて各地に新寺を建立したり、廃寺を再興したりされ、それらの寺を西来寺の枝院とされました。その数は、約二百ヶ寺におよび、北は鈴鹿から南は松阪までの広い地域にわたりました。

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