1 西来寺の開創


龍神社・龍宝院(津市香良洲町)

龍神社・龍宝院(津市香良洲町)

西来寺は、延徳2年(1490)4月13日の草創で、阿漕浦の海岸近くにおいて、念仏修行を始めたと御伝記に書かれています。このときは、文字どおりの草創で、海辺の苫屋をそのまま利用しておられたようですが、4月15日の夜半一人の貴女がお弟子の盛算法師のもとへ現われ

「私は龍宮からの使いの者です。この寺の仏殿建立に銅銭百疋(ぴき)を寄進いたせとの龍王のおぼしめしです。委細これにしるしてあります。」

と言って青素子(あおざし・穴あき銭の穴へひもをとおして一くくりしたもの)と一枚の紙札をおいてかきけすように消えていきました。盛算法師がその札をご覧になると一首の和歌がしたためてありました。

「きとくかな 不思議ありける この寺を いそぎてたてぬ 人ぞものうき」

このことがたちまち人々の間にひろまりました。こんな奇特があったのだから早く立派なお堂を建てようと衆議一決したのですが、堂を建てるに適当な材木が手にはいりません。そこへ「雲出川の河口の箭野(やの)の渕に何千年とも知れぬ大きな埋木が沈んでいる」と教える者があり、その木を曳(ひ)き上げようと大勢のお弟子や信者の者が箭野の渕へ集まりました。真盛上人もそこへお越しになり皆が力を合わせて曳き上げようとしたのですが、太さ一尋(ひとひろ・約2m)長さ十余尋の巨木ですのでどうしても動きません。

真盛上人は「これは霊木ですから人の力では動きません。みな声をそろえてお念仏を申して曳きなさい。」とおおせになり、大声でお念仏を唱えました。その声が四方に響きわたり近くの人々も集ってきて大勢が声をそろえて念仏を唱えて曳いたところ、さしもの巨木も曳き上げられ、寺まで運んで本堂建立の用材としました。そうしてその費用に龍王が寄進した銅銭をあてたのですが、使うだけまたふえてなくならず、造営の費用を全部まかなうことができました。かくして五間に七間の本堂が落成しました。落成と同時にこの銅銭は青蛇と化して消えうせたということです。

これが西来寺建立にまつわる物語で、龍王が寄進した宝銭で建ったというので山号を龍宝山と号しています。

この宝木を曳き上げたといわれる、津市香良洲町の入口の雲出川の川べりには、現在、西来寺の龍神社と龍宝院が建立されています。

…『2 最初の移転』へ