西来寺沿革


西来寺本堂

西来寺本堂

龍寶山西来寺は、天台真盛宗の開祖である真盛上人御開創のお寺で、天台真盛宗の別格本山となっています。延徳2年(1490)4月、念佛道場として発足してから、現在まで五百数十年になりますが、その間に寺の所在地が四回変っています。最初は阿漕浦の海辺、次が柳山の、現在盛品塚のある場所一帯(津市柳山津興)、三回目が国道23号線大門西交差点を少し北へ行った場所一帯(津市大門~中央、町名変更されるまで西来寺町というのがありましたが、ここから西北へかけての一帯)、最後が現在の場所(津市乙部)です。

 

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1 西来寺の開創

西来寺は、延徳2年(1490)4月13日の草創で、阿漕浦の海岸近くにおいて、念仏修行を始めたと御伝記に書かれています。このときは、文字どおりの草創で、海辺の苫屋をそのまま利用しておられたようですが、4月15日の夜半一人の […]

2 最初の移転

明応7年(1498)に大地震がありました。この地震で安濃の松原(安濃津と海の間の松原をこういっていたそうです)が陥没し、津の町は壊滅的な被害を受けましたので、町を西の方に移して再興することになりました。西来寺もそれに従っ […]

3 第二回目の移転

織田信包(のぶかね・信長の弟)は永禄12年(1568)から20年以上も津城主をしており、城を拡張したり、天守閣を建てたりしましたが、天正8年(1580)には安濃津の町を町ぐるみ阿漕から城下の地へ移転させました。西来寺も城 […]

4 第三回目の移転

慶長5年(1600)9月関ヶ原の戦いがおこりましたが、その前哨戦で西軍が津城を攻撃し、津城主富田信高は籠城しましたが、西軍が西来寺を陣所としたため、城兵が西軍の先鋒をくじこうとして西来寺に火を放ちました。この時の兵火のた […]

5 第二次世界大戦による西来寺焼失と平成の復興

昭和20年(1945)7月28日夜半からの焼夷弾空襲で津市街の8割は全焼し西来寺も灰燼に帰しました。ところが宝蔵の周囲だけは不思議にも焼夷弾が落ちず、宝蔵二庫と隠居所だけが焼失をまぬかれました。誠に不思議、宝蔵に収めた佛 […]